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インタビュー

歴史ある食堂を継ぎ、震災をきっかけに新たな業態に挑戦。

若者たちが集える店を!さきがけとなり居酒屋を開店。渡辺さんのしあわせみつけた、移住物語。

歴史ある「川竹食堂」を継ぐためにUターン。

中越大震災をきっかけに、食堂をリニューアルし、 見附市内に若者が集える「居酒屋」をオープンした JAPANESE DINING 川竹 渡辺オーナーの、幸せみつけた物語。

ご家族の構成・状況

渡辺隆雄さん(40代)/見附市出身/JAPANESE DINING 川竹代表 ご家族:奥様・2人の娘さん 高校卒業後、都内の大学へ進学。夜間の大学へ通いながら、昼間は数々の割烹で修行を積む。父親の急逝がきっかけで老舗の食堂を継ぎ、現在は居酒屋スタイルの飲食店を経営。

渡辺さんがUターンしたきっかけを教えてください。

大学は東京で、卒業後は都内の割烹などで仕事をしていました。

我が家は元々、見附市内で戦後間もない頃から「川竹食堂」という食堂を営んでいたのですが、その川竹食堂を切り盛りしていた父の急逝がきっかけで、まずは一旦見附へ帰ってくることになったんです。

川竹食堂は歴史ある店だから閉めるわけにもいかないし、継ぎたくはなかったのですが長男なので仕方なく・・・そんな思いでのUターンでした。

食堂は畑違いですし、2年くらいしたら東京に帰ろうかなと思っていたんです。

妻も東京の出身ですし、はじめは見附へ帰ることも反対していたので、「まぁ2年くらいで東京に戻るから・・・」と言いながら、説得して移り住んだという感じでした。

その後、渡辺さんの人生に大きな変化をもたらす「中越大震災」がおこったわけですね。

食堂を継いで1年半経った頃に、あの「中越大震災」が発生しました。

あの日から、いろんな価値観がガラッと変わった気がします。

地震発生時は天ぷら鍋から火柱が立ったり、ベビーベッドで寝ていた、当時まだ生後間もなかった下の娘のすぐ数センチ脇に大きく鋭利なガラスの破片が突き刺さっていたり。

生きた心地がしませんでしたね。当然店も営業不能になってしまいました。

そんな時にお得意様から、「復活してほしい!」という励ましを受けたんです。

そんな応援の声をきっかけに、再開しようと奮起したのです。

以前から、見附の若者達は、見附市内で飲食することがあまりなく、長岡や三条などわざわざ外へ出かけてしまっているのが気になっていました。 それを何とか食い止めることができないか・・・そんな想いから若者が集えるような「居酒屋」というスタイルでお店を再開することにしたのです。

食堂から居酒屋という業態にチェンジすることに、不安はなかったのですか?

正直、家族や親戚・友人には反対されました。

「見附でお金を落とす人なんてあまりいないのではないか!?」と。
でも、根拠はないけれど「何となくやれる!」という自信があったんです。
東京で修行をしていた時にお世話になった親方にも後押しされ、 平成18年の3月に、居酒屋スタイルの「JAPANESE DINING 川竹」としてオープンすることができました。

それまであまり見附には無かった、「若者が集える」お店をオープンして、地元の若者達の反応はいかがでしたか?

はじめの頃は、「見附で飲める店が出来て、運転代行料金などを使わずに済むからとっても助かる!」という声をたくさんもらいました。

オープンした時に私は、見附の若者たちは、10年後には見附市外に飲みに行くという選択肢がほぼ無くなるのではないだろうか・・・と事業計画に書いたのです。
10年経った今、うちの店が先駆けてオープンした効果もあったのか、同じように「見附で飲食店をやってみたい」という人が増え、複数のお店ができました。
見附市内に飲食店やカフェなどが増えたことで、事業計画書に書いたように見附市内の若者が、わざわざ外に出かけていかなくても、見附市内で様々な飲食店を楽しんでいる状況です。 想像した通りになったなぁ・・・と嬉しく思っています。

初めは見附へのUターンに反対でいらっしゃった奥様について、何かお気持ちの変化はありましたか?

子どもを通じて、そして居酒屋をオープンしたことで、妻の気持ちの変化が生まれたのではないかと思います。

子どもの保育園のママ友との飲み会はうちの店(川竹)で!というような機会が度々ありました。
そのような感じでこちらでも友達が増えていきましたから、見附への想いも変わっていったのではないかと思います。

渡辺さんから見附を客観的に見て、見附で商売をするうえでのアドバイスを教えてください。

見附はどちらかというと保守的な町・市民性なのだと思います。

一歩先は怖がって進めない・・・でも半歩先なら興味を持って進んでみる。
そんな感じでしょうか。
私は、板前として修行をしていた時の親方に、「この世界は職人か商人しかいないんだ」と言われたことが心に残っているのですが、10年かけてやっと見附という町の商人になれたのかな・・・と今思っています。
見附特有の地域性や市民性もありますから、ロケットスタートを狙うのではなく、3年5年と焦らずじっくり、腰を落ち着けてやってみること。 市民性を踏まえて少しずつ打ち解けて、一歩ずつこの町の人たちに馴染んでもらう・・・都会のスピード感とは違うそんな感じでやっていけると良いのではないかと思います。
 
また、都会の流行そのままではなく、見附の周波数・・・これは長岡や三条とも違うと思うのですが、この周波数に合わせるということがとても大切ですね。
都会では生き残るために専門性を出しますが、やはり見附であまりに専門的なお店では難しいのではないかと思います。
 
こんな風に並べると、見附での商売は大変なのかな・・・と思うかもしれませんが、見附には起業を後押ししてくれる心強い存在がいるんです。
見附では市を盛り上げる様々なイベントや、起業したい方を応援する市役所のバックアップ体制がとても充実しています。
 
市の企画で様々なイベントが催され、市民の交流の機会が多くあります。
ですから、起業で困った事があれば市役所の方などに相談に乗ってもらうことで、打開策を見出せるのではないかと思います。
補助金なども活用できますし。市内には安く借りれる物件もたくさんありますから、起業しやすい町なのではないかと思っています。

渡辺さんがご商売を通じて感じている見附への想いや、これからの展望をお聞かせください。

私は現在、見附へ外から人を呼ぶ事のできるツールを育てるため、うなぎの養殖を行っている「プロジェクトU」という事業に携わっています。

 
見附は交通の便も良く、まだまだ外から多くの人を呼び集める事ができるポテンシャルを持っていると思います。 これから見附で独立起業しようと思う方にとっても、このようにして「外からも集客できるツール」をこの見附で捜し求めることもできるのではないかと思います。
 
また私は、市が主催する「食育プロジェクト」などにも積極的に参加させてもらっています。 少し前には「命をいただく授業」として、活きたうなぎを子どもたちの目の前で捌き、その場で調理して食べてもらいました。
 
この「命をいただく授業」がきっかけになって、お店へ親子でうなぎを食べに来てくれた方もいました。 事業をやっているからにはやはり「地域に貢献したい」という想いから行動をしています。 その想いがきっかけとなり、もっともっとお店を知ってもらい、愛されるお店として育っていきたいと思っています。

JAPANESE DINING 川竹

〒954-0057 新潟県見附市新町1-11-7

【電 話】0258-62-0133
【定休日】月曜日(祝日の場合は翌日)
【営業時間】
●平日FOOD 23:00(ラストオーダー)/DRINK23:30(ラストオーダー)
●金・土・祝日前⇒FOOD 23:30(ラストオーダー)/DRINK24:00(ラストオーダー)
2017.10.25 Wed

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☎︎ 0258-62-1700

見附市企画調整課企画担当係(内線315)
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